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執筆者の写真呉式太極拳 順展会

第91回 丸い体を丸く使う 後編


⑴ 危険

柔道の受け身⇄その反対の状態を対比して考えたい。

まず、悪い例から。

肩・肘を四角く固め、後ろへ倒れる状況。

これは背筋も凍る危険な行為。

ぶつかりの衝撃の分散がなく、角ばっている肩・肘に力がすべて集中する。

悪くすると、脱臼や筋の損傷もまぬがれない。

力みと角のある四角い体は、動きにくいだけでなく深刻なダメージを受けやすい。

次に良い例としての丸い体(柔道の後ろ受け身)。

体を丸く使うことで、倒れるときの力や衝撃が特定の一ヶ所に集中・渋滞しない。多方向に分散できる。

地面との接点を限りなくたくさん持つことで、接地のつど、力は次から次へと流れるように伝達され、ダメージが体に残らない。

この原理は丸い形状のタイヤも同じ。

地面とのぶつかりのない、なめらかな接地と転がりによって回転が推進力へと変換される。

しかし、オフロードのような凸凹道だと話は別。

タイヤが丸くても接点に角(四角)ができると、ぶつかってしまう。そのときの車中はまさに荒波に翻弄される船のようで、安定が壊され、すさまじい衝撃が縦横に走る。

力んでいるとき、つまっているとき、体の中で同じことが起こっていると思うと、「柔らかく、丸く」体を使うことの大切さが身につまされる。

⑵ つまったところに重心ができ体が軽くなる

動きがこなれないうちは、体の上部につまりができやすい。

典型的には、首・肩・胸・肘など。

力・エネルギーがつまりの場所にたまって流動しなければ、第二・第三の重心がそこにできる。

そのとき体は物体化する。打たれては、衝撃・ダメージを受けやすく、崩されては軽々とあしらわれる。

それゆえ太極拳は「双重を嫌う」。重心は常に一つであることが望ましい。その位置は当然低いほどよい。全身の落ち着き、また上半身の柔らかさと自由度は低い重心によって確保される。

太極拳の考える重心は最低でも丹田(その位置には独自の考えがある)。熟練者はさらにそれよりも低い位置。呉式太極拳では重心がカカトに落ちるのを理想とする。

型を何度も繰り返しながら、上半身の不要な力を徹底的に捨て、また上・中・下盤の協調性を高め低い位置に重心をつくっていく。

重心の低さと高パフォーマンスの相関関係は、相撲を見ても一目瞭然。

立合いの重心が高ければ、どんな力自慢の力士も、低い位置からぶつかってくる相手に弾き飛ばされてしまう。

強い力士に節々のつまった四角い体型の人をほとんど見ないのは、四股やテッポウなどの伝統稽古によって、強い足腰に加え、低い重心をむねとした体づくりを徹底的にしているから。

相手とぶつかったとき、衝撃のダメージをまともに受けず、攻撃のとっかかりを与えない上半身のしなやかさは、何と言っても低い重心から生まれる。

これは武術に限らず身体のベスト・パフォーマンスを引き出すうえで全ての分野に共通のことではないだろうか。

⑶ しなやかな変化ができなくなる

力みでつまっているときの体は、入力・出力、いずれも不利な状況におちいっている。

感覚の門を閉ざしているので、相手の情報が入ってこない。つまり、滞りのため自分の情報も外へ出にくい。感覚をパフォーマンスに正確に反映する変換作業を力みが邪魔をする。

分かってはいても意思とは関係なく力んでしまうのが体の難しさ。

対策としては、体をできるだけ丸く使おう、である。

武式太極拳に「五弓説」という考え方がある。

両腕、両脚の四肢が弓のように丸く。

最後の一つ、体を上下に貫く脊柱もできるだけ弓のように。

これらの形状がゴテゴテと角ばらず、虹のような美しいカーブの形になれば、全身をつなぐ幹線インフラが十全に整備される。

そのインフラ内では、さまたげるものがないので、情報、エネルギー、力、いずれも電光石火の往来が可能となる。

太極拳の動きがゆっくりのように見えて、実際は正確かつ高速無比であるのは、ゆるみを備えた丸い体のなかでこのようなやりとりを無念無想で行なっているからである。


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