プログラムのINとOUTについて
人とコンピュータの特徴の違いにかねて興味をもっている。
今回はそのことを書いてみたい。
結論から言うと、
コンピュータ(AIを除く)では入力(IN)と出力(OUT)が完全一致するのに対し、
人では入力と出力のあいだにズレが生じる。
たとえばワード、エクセル、撮影した写真が入力と異なる内容になってしまえば、
そのPCはもはや破綻して、用をなさない。
PCに常に期待されるのは、プログラム通りに同じ結果を出すこと。
人が苦手とする膨大な情報処理、難解な計算であっても、
PCの答えは寸分たがわず完全に同じものでなければならない。
反対にもし人がコンピュータのように入力と完全に同じ出力をするとすれば、
それはロボットやアンドロイドのようで何となく気持ちが悪い。
INとOUTの結果が完全に一致せず、
むしろ何がしかのズレが生じるのが人の人らしさで、
そうであるからこそ、コンピュータのように一様ではなく多様な魅力あるいは独創性が創発される。
ズレが生じる過程で決定的な役割を果たすのが「個性」の発現。
伝統武術や伝統芸能には型という非常に重要な学びのプログラムがあるが、
武術家も芸能者も、型を徹底的にやりこむことで技術・人格・風格を創っていく。
このことについて、今をときめく狂言師 野村萬斎さんを評した齋藤孝さんにとても印象深い言葉があるので、引用したい。
「萬斎さんは個性を育てる教育を受けてここまで来たのではない。型の教育を受けて、世界に通用する、極めて個性的表現者は誕生した。」『野村萬斎 狂言サイボーグ』
我が意を得たりと、この言葉に感銘を受けた。
自分の個性を打ち消し型そのそのものになりきるまで型をやりこむことによって、
期せずしてにじみ出てくる個性。
個性、独創性を表現しようとして出される個性ではなく、
むしろそれらを封印し、伝統プログラムに徹した果てに出てくる個性。
それは人と伝統プログラムが出会うことでしか出てこない、
またその人個人からしか生まれない本物の個性の躍動。
今の私の中では「守・破・離」の「破」のはじまりはこの辺りに位置づけられている。