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執筆者の写真呉式太極拳 順展会

第50回 佐藤一斎


今月のはじめ、法事のため岐阜の実家に帰り、

父の郷里である恵那市岩村をおとずれた。

私にとってはおそらく40年ぶりくらいの訪問である。

岩村は美濃の小なさ藩の城下町で、

昔のおもかげを今に残す古雅な町であるが、

この岩村から江戸時代後期に傑出した人物が現れた。

佐藤一斎(いっさい)。

昌平坂学問所(江戸幕府の教育機関)で塾長もつとめた儒学者。

門下から渡辺崋山はじめ多くの優秀な人材を輩出した。

主著「言志四録」は儒学の範疇におさまらない値千金の名著で、

座右の書として西郷隆盛も多大な影響を受けたという。

私も折にふれ愛読しているが、

その金言は現代人の心の琴線にもダイレクトに触れる普遍的なものが多い。

割愛するのも惜しい名言が山ほどあるが、

そのうちの1つだけをここでご紹介したい。

「少年の時は当(まさ)に老成の工夫を著(あらわ)すべし。

 老成の時は当に少年の志気を存すべし。」

以前からとても気になっていた言葉で、

私自身は実践するのに太極拳と能を選んだ。

子供から老人まで一つのことを生涯一貫して続けられることであれば、

武道、茶道、花道、その他、何だって構わないと思う。

ただし、少年の頃に老成の工夫といっても雲をつかむような話で、

ピンとこないどころか、

SFのような現実味の乏しい遠い次元のことになってしまう。

老成の工夫について一つ条件をつけるならば、

少年の頃から実際の工夫がはじめられる「型」のあるものを選ぶのがいいように思う。

一斎にとっては「四書五経」をはじめ儒学の書が型であったわけだが、

武道をやっていてつくづく思うのは、

型こそ技術だけでなく少年の人格をはぐくみ、老年になっても熱い情熱を注ぎ続けられる生涯にわたる工夫なのではないだろうか。

やり続けたもののみが実感する「苦・楽」がそこにはある。

今回の訪問の際、岩村で撮影した写真を末尾に添付する。

岩村町に興味を持たれた方は下記ウェブサイトをご覧になられたい。

http://iwamura.jp


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