もともとは弓に由来する言葉で、
「弓を引きしぼって極みに達した状態」。
タメがピークとなり、まさに弓を放す直前の状態が「満を持(じ)す」ということ。
しばらく前までは日常会話に登場する表現であったが、
残念ながら最近耳にすることがほとんどなくなった。
長年日本で親しまれてきた「放す前にタメる文化」が時代とともに立ち消えてゆくのはあまりにも惜しいので、
「タメ」をキーワードに今に生きる「満を持す」文化について書いてみたい。
野球・ゴルフ・相撲
日本で愛好者の多い代表的スポーツ(あるいは国技)であるが、
私が注目したいのは三者に共通の
・自分好みの間が持てる
・十分なタメを使える
ということ。
野球のバッター、ゴルファー、いずれも自分にとって心地のいい間を使い、十分なためを持って一打にのぞむことができる。
マウンド上のピッチャーも同様の要領で一球を投げられる。
メジャーリーガーの投球フォームに私はすごい違和感を感じることがあるが、
これは間のとり方、タメの使い方が日本のピッチャーと根本的・本質的に違うからではないだろうか。
相撲においては「待ったなし」がかかる前に、力士同士の立合いが始まることがまれにある。
あれは気力の充実を含め何もかもが極みに達する「満を持す」状態が、
二人の力士に同時におとずれた稀有な瞬間の出来事に他ならない。
今回このテーマを選んだのは、
11月20日に台湾で行われた
巨人OB選抜 対 台湾OB選抜 チャリティー試合で
世界のホームラン王・王貞治さんがオントシ76歳で往年のキレイな一本足打法を披露されたことに感銘を受けてのことである。
太極拳の目で分析的に見ても、
「脱力」「中定(全体としてのバランス)」「開合」
いずれも非常に理にかなった身体運用との印象を受けた。
私でなくとも76歳と思えない美しい立ち姿に大勢の方が感銘されたに違いない。
王さんの一本足打法とは、彼自身にとって最良の「満を持す」打法ではないだろうか。
「開合」の印象について少し詳しく記せば、
上半身が脱力し「虚」となり、下半身が「実」となる垂直(上下)方向の「合」、
左右の骨盤がゆるみ自然に寄り合っている水平(左右)方向の「合」、
また呼吸の「合」、
一本足になることでこれらがごく自然に行われているようだ。
太極拳では「発勁は矢を放つ如し」と言われるが、
一本足打法という無理・無駄のない自然な「合」の姿勢から、
それを滞りなく滑らかに「開」の状態へとつなげられたからこそ、
868本という前人未到のホームランを、
スタンドへ向かってまさに矢を放つが如く打てたのだと想像する。
最後に一つのことを強調したい。
王さんは一本足打法という技術を
陸上の世界記録のような「一回性」のものではなく「再現性」の高いものとして確立したことのすごさ、また素晴らしさだ。
現役をしりぞき何十年。
よわい76にしてなお非常に高いレベルで再現される一本足打法。
年をとっても揺らぐことのない本物の技術、
現役を離れても薄れたり消えたりすることのない確かな身体意識、
そしてそのことを可能にした膨大な練習量と創意工夫に敬意を表したい。
武術の技術もまたかくありたい。