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執筆者の写真呉式太極拳 順展会

第31回 微差


数日前に放送されたデザインに関する民放番組のなかで、

囲碁の碁石に微妙なサイズの違いがあるというくだりを面白く観た。

白と黒の石にはほんのわずかだが大小がある。

白の21.9mmに対し黒が22.2mm。

そう、白よりも黒のほうが0.3m大きく設計されているのだ。

碁においては、石の「見た目サイズ」が同一にそろうことが重要で、

そのため見た目の印象が引きしまって見える黒よりも

実際以上の大きさを感じさせる膨張色の白のほうがほんの少し小さい。

これは大局観を同じ条件に設定するための配慮だそうだ。

囲碁は陣地の広さをあらそうゲームで、

相手よりも多くの陣地をとった方が勝者となる。

白黒石のサイズがもし同じであれば、

盤上で仮に両者石の数が同じであっても、

白よりも小さく見える黒の棋士には、

互角の局面が不利な状況に映ってしまう。

その心理的プレッシャーから平常心ではありえない悪手をさしてしまう危険性が高くなるというのだ。

公平な条件でプレイしてもらうための小さな小さなサイズへの配慮、

人間感性の本質に触れる深い話だと思った。

太極拳練習の本質はそのような微差に対して敏感な感性を養い、

見えないほどのわずかなズレをも修正することにある。

たとえば呉式太極拳の套路(型)において、

動きのスピードは最初から最後まで均一でなければならない。

均一への要求は、下半身への負担が大きい厳しい姿勢のときも変わらない。

姿勢が厳しいと無意識のうちに加速したり、関節に力みが入ってしまう。

万人に共通する生理的反応であるが、

型はこのズレを練習によって極限まで小さくすることを求めるのだ(完璧に無くなることはおそらくありえない)。

推手練習においてもスピード・力加減・相手との関係の均一を守ることが必須となる。

相手に触れる手が重すぎたりまた軽すぎてはならず、

相手から手が離れたり、ぶつかってはならない。

しかしそういったわずかなズレを起こさず不即不離の関係を保ちながら推手を回せるのは相当な上級者だけで、

我々にとっては型と推手の練習を通してわずかなズレに対する敏感度を磨き、無限の修正を加えていくことが時分時分の課題となる。

相対的な話になるが、

感性が敏感になればなるほど、また自分のズレが小さくなればなるほど、

相手に起こるズレが大きく感じられるようになる。

太極拳練習で徐々に開かれていく感覚の不思議である。


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