秦の始皇帝が中国全土を統一する前の戦国時代こと。
趙(ちょう 前403年–前228年)という大国があり、
邯鄲(かんたん)に都をおいていた。
文化先進国の趙は、最先端の情報と流行の発信地であったようで、
その都邯鄲は、今の東京のように華やかできらびやかなイメージを持たれていた。
そのイメージを巧みに使って「荘子」は一つの寓話を仕立てる。
ある田舎者がかっこいい歩き方を邯鄲で学ぶが、
それが身につかないばかりか、
自分の国の歩き方まで忘れてしまう。
結局、歩くことができず四つんばいで帰国するという話。
太極拳を含め型を練る者にとって、
これは単なる寓話ではなくむしろ切実な問題だ。
華やかなもの、きらびやかなものに目が移ってしまうのは人の常なのかもしれない。
しかし気のおもむくまま安易に型の幅(数)を広げてしまうと、
結局一つの型も十分に身につかず、
邯鄲の歩みを地で行ってしまうことになりかねない。
厳しく言えば、型の練習に果てなどありえないだろうが、
少なくとも身につけた型がいかなる状況でも自分から離れない、
願わくば、型から取り出したいものを、自由に取り出せるところをめざしたい。
型を練るとは、
どこで満足するかではなく、
どこまで満足せず型と向き合えるか、
邯鄲の歩みを自戒としてこのように思う次第である。